
2023年8月から始まった、おおさか商店街オープン・まちコーディネーター養成講座。その第1期卒業生の岩崎さんは、講座を修了してからおよそ半年後の24年4月に天神橋筋1丁目の商店街に「タガヤス ジェネラル ストア」をオープン。お店の壁には昔の天満・天神の風景写真が掛けられていて、どこか懐かしい、素朴で温かい雰囲気に包まれています。カフェスペースでは、地域の常連客や天満を訪れる旅行客がカウンターで一緒に並ぶこともあり、ガイドブックでは知れない、等身大の町の話を聞くことができます。
今回、お店のオーナーとなった岩崎さんに、同じくマチコ1期生の栗田さんがインタビュー。マチコ参加のきっかけや、天神橋でお店をオープンした思い、町の人・商店街の人との繋がりについてお話を伺ってきました。
マチコと出会うまで。「リアルなローカル」への思い。
栗田:はじめに、岩崎さんはどうしてまちコーディネーター養成講座(以下「マチコ」)への参加をしようと思ったのですか?
岩崎:まず、マチコを知るまでの背景として僕の経歴からお話しすると、以前、僕は会社員をしていて、その頃に大学生と商店街の人が一緒になって商店街を盛り上げるプロジェクトを運営していたんです。「商店街」や「地域性」をテーマに、商店街の情報発信を通じて地域の活性に携わってきました。この活動ってすごい大切なことだなと思ったんです。僕らはその町に住んでいない「ソトの人」です。町の外から訪れた人が、商店街の人や地元の方から町場の話を直接聞けるっていうのはとても価値があると思ったんですよ。そういうバックグラウンドがあって、「大阪の商店街で“リアルなローカルに触れられる場所”を作りたい」と思ったことが自分の土台になっています。

岩崎:そんな思いから会社を辞めて、地方創生やイベントプロデュースを行う一般社団法人カルチベイト・ジャパンを立ち上げたんですが、事務所を開設した数日後にコロナ禍に入ってしまって、それまでやっていた企画や事業を止めざるを得なくなり、丸4年間、足踏みをしていました。そこから2023年の5月にコロナが五類になって、さぁやっと動けるぞとなった頃が、まちコーディネーター養成講座(以下「マチコ」)の1期生募集の年だったんです。
栗田:元々の背景として「リアルなローカルに触れられる場所を大阪につくりたい」という思いがあって、法人を立ち上げたんですね。コロナ禍を経て、自分たちでお店を何かやろうとしていた、ということでしょうか?
岩崎:まだその頃は、お店なのか、お店じゃない何かの場所なのか、何なのかはまだ決め切れていませんでした。何をどうしていこうかを考えているところに、仲間からの紹介でマチコの募集を知って、一つの切り口として自分たちがやろうとしていることに役立ちそうだと考えたのがマチコ参加までの経緯ですね。
栗田:そこでマチコに参加をしてみようと思ったんですね。どんなところに惹かれたのですか?
岩崎:大阪で実際にまちづくりをやってきた人の話が聞けることですね。町に住む人たちそれぞれの関係や、その町の環境などを踏まえた取り組みのリアルな話は、実際にやってきた人からでしか聞けないと思いました。そのリアルな何かを語れる人と出会えると面白いなって、何かを学ぼうというよりは、ちょっと損得勘定だったかもしれない。
栗田:損得というと?
岩崎:ピュアに「学ぶんだ!」というよりは、「色んな人との接点が生まれたらええな」という感じ。
栗田:何か商売というか、人との接点を通じて自分の事業にも繋がったらいいかな、というようなものが損得勘定ということですか?
岩崎:そうそう。人との関係性を持てたらいいねって思ったんです。だけど、僕の性格もあるんですが、やりだすと講座のワークもちゃんとやるので。(笑)

栗田:そうだったんですね。(笑)僕も岩崎さんと同じグループでしたが、皆全力でやってましたよね。
マチコの参加を通じて得た刺激と学び
岩崎: 僕はメンバーに恵まれたってすごく思いました。みんなが役割を持ったチームっていう概念が、すごく当てはまった気がしていました。皆それぞれでやりたいことは違ったとしても、皆で目標を決めたらそっちへ向かう。チームとして全員が目標に向かうっていう印象があった。マチコは学びの場ではあるけれど、何かビジネスとか、主体的にモノを興していくのと似ているような気がしていました。このことはすごくいい経験だったなと、59歳にして思いましたね。
栗田:そのような感覚を持った場は、マチコ以外ではなかったんですか?
岩崎:例えば会社のような組織となると上に偉い人がいたり、地方創生でも「先生」みたいな人が上になってしまったりする。所属や肩書のような「ラベル」がついているのと、マチコのように人にラベルがついてないものとの違いはあると思う。あとは、自分もいい年になってフラットにものを見ようと思うというか、フラットになってしまっている。そういうこともあるのかなと。
栗田:フラットに見ることでどんなことを感じましたか?
岩崎:非常に刺激を受けましたよ。栗田さんや同じグループの人から刺激を受けましたし、他のグループの人からも刺激を受けました。特に栗田さんからは、その地域の歴史や文化、風土、町の人などをとことん調べて、突き詰めて考えてみて、その自分の考えたことを人に伝えるということに対して一生懸命しているなって思ったんです。
栗田:間知古商店街という架空の町の概要から、いろんなことを妄想してましたもんね。(笑)
岩崎:やっぱりね、妄想するって大事。実際まちづくりってお金の話もシビアに触れるので、どうしても現実的になるから。でも大きくジャンプするときには、「こうなりたい」とか「こうありたい」ということをこの妄想で描く。そのためにどんな条件が必要だろう。と、考えるプロセスは大切なんじゃないかな。
あと、もう一つ栗田さんに思ったのは、人にものすごい興味がある人なんだなと思ってました。
栗田:よく言われます。(笑)
町は「地域の人とのつながり」でできている。
岩崎:僕ね、町ってやっぱり「人」だなと思うんですよ。例えば文化にしても、お店にしても、食の味にしても、作るものにしても、必ずそれを作る人とか、それを語る人とかがいると思っていて、町の人に会いに行く・会いに来るっていうのは「ツーリズム」っていうか、町の活性化につながる。僕が運営する法人でも、「ツーリズム」と「町の活性化」は、完全に目指していることなんです。
商店街の人を多くの人に知ってもらおうとレポートして、その地域に住む人たちに会いに来てもらうようにしていく。地域づくりはまずはそこから。いきなり外から旅行客を呼ぼうなんて、僕はおこがましいと思っていて、自分たちが行かないところに、旅行客が来るはずがないと思うんです。
栗田:そうですね。僕もマチコを通じて同じことを思っていました。中津・空堀・蒲生四丁目それぞれの町で活動している講師の方からこれまでの歩みを聞いていると、まずはその商店街やその地域の方のつながりを育むことから取り組んでいますよね。
最終日のプレゼンで得た確信が、背中を押してくれた。
岩崎:あと、マチコで感じたこととして、ナゴノダナバンクの市原さんや藤田さんが、自分たちで円頓寺商店街でお店をやってきたっていう話を聞いて、「自分でお金を出して、身を削ってやらないとあかんのやな」と思った。僕もはじめカルチベイト・ジャパンでそうせなあかんと、マチコに参加する前から決めていた。そう決めていたけど、自分の考えていたことを実証する事例があの人たち。町の外から町と関わるプランナーではなくて、町の中で実際に自分でお金を出してリスクをとってやるのが大切だと思った。この思いからマチコでの最終プレゼンの劇でやったのが、「私、たこ焼き屋やります!」の台詞なんですよね。

栗田:あの台詞は僕もずっと覚えています。僕たちのプレゼンは、自分たちが町に住む人として考えたプランでしたね。
岩崎:僕はあれが大事かなと思っていて、マチコでの一つの大きなポイントだったのが、2日目の時に市原さんが参加者に向けて問いかけた、「皆さんのチームは、町とどの立場で関わりますか?」っていう言葉。
栗田:ありましたね。
岩崎:はい。あの問いが実はカギだと思うんですよ。僕らは「町に住む人」としてプランを考えていましたけど、その一方でコンサルタントや企画会社の立場で関わるグループもありました。
栗田:あの問いかけで各チームはっきりと分かれましたもんね
岩崎:もう見事に分かれたでしょう。
栗田:はい。
岩崎:どっちが正解という訳ではなく、もちろんコンサルタント・企画会社として考えるのも良い。ただ、その立場で関わるには、行政と絡んでいるか、既に権威を持っているかがものすごく大切なポイントになる。自分たちが企画会社ではない立場で、何か町で面白いことやろうと思ったら、50万でも100万でも、身銭を切ってイベントやってみまんねん。という入り方になる。最終プレゼンの「私、たこ焼き屋やります!」は、その意思表明ですよね。
栗田:そうですね。
岩崎:自分たちの考えた「場」をつくろうと、身銭を切ってお店を持つという立場で行ったプレゼンに対して、講師の方から「一番良かったよ」と言ってくれた。マチコに参加して良かったことっていうのは、まちづくりの先輩であり、ライバルでもある講師の人たちから、自分の考えは完全に評価されるんだ。自分の考えは間違ってなかったんだと、背中を押してくれた思いがしました。マチコを通じて僕はすごい自信になりました。
マチコの参加を経て、お店の開業へ。

年齢を重ねて変わっていく天満との関わり
栗田:「リアルなローカルに触れられる場所」を大阪に作りたいという思いから法人が立ち上げて、コロナが明けて参加したマチコで、「私たこ焼き屋やります」という最終プレゼンで自信を得た。そこから「TAGAYASU GENERAL STORE(タガヤス ジェネラルストア)」を天満にオープン。天満の町を選んだ理由や、マチコからお店のオープンまでどんなプロセスがあったのか聞かせてもらえますか?
岩崎:まず、天満に拠点を構えたのは、元々天満に馴染みがあったというのが大きかったですね。
栗田:そうだったんですね。詳しく聞かせてください。
岩崎:僕と天満との縁から話すと、僕が最初に就職して勤めていた会社で、担当したクライアントが南森町にあってよくこの界隈に来ていました。それから転勤で大阪を離れていた頃にも、大阪に帰省した時にはよく友人と天満で遊んでました。その後、会社を辞めてからも、一緒に法人を立ち上げたビジネスパートナーの事務所が天神橋筋7丁目にあったので、よく打ち合わせに来てましたし、その後に天満の美味しい店やおもろい店、個性的な店を案内してもらっていました。なので、天満は気軽に飲み食いができて居心地がいい場所やなって愛着がありました。また一時期、仕事で15年ほど北関東にいた時があって、15年ぶりに大阪に戻ってくる時にどこに住もうかなと思った時に天神橋に住もうと決めた。この町に住んだらなんかオモロいなと思ったんですよね。
栗田:何十年もの年月の中で、いろんな形で天満の町との関わりがあったんですね。
岩崎:まとめると、最初、天満は「仕事の場」でした。で、次は友人との「サードプレイス」。北関東から大阪へ戻ってきて住み出したら「生活の場」。この3つの関わり方で天満と絡んでいた。ずっと天満・天神橋におったというよりも、人生のいろんな側面で天満と関わっていました。で、いまは天満で商売をする人であり、商店街の人です。
入念な計画より、まずやることを決める。
目指す理想を描いて走りながら考える。
岩崎:そんな中で天満での出店を決めたのは、マチコから1ヶ月ぐらい経って、たまたま天満で空き物件の情報が出てきたんです。タイミング上、出店を決めざるを得ない。きちんと計画を考えきってから始めるのではなく、まず店を開いて、試して、修正して、また試して、ということをしよう。まず動くことを決めたっていうことが一番大きいかもしれません。
栗田:たまたま空き物件が出てきたことで、ここをまず抑えようというところからのスタート。そこから事業のプランを作っていったという流れなんですね。ということは、お店自体のコンセプトや細かな計画はどんな風に考えていったんですか?
岩崎:細かなところは走りながら決めましたが、大きなコンセプトは法人を立ち上げる前から考えていたこととズレていないですね。先ほどのお話のとおり、地元の人やソトから来る人が集って、地元の方から町場の話(オーラルヒストリー)を聞けることはすごく価値のあることで、そういう場所を大阪に作りたいと思っていたことですし、お店の壁に掛けている昔の天満の風景写真も、デジタルでアーカイブして額装するっていうスタイルもずっと考えていたことです。
そこに大阪に住む人が大阪を旅したり、インバウンドで商店街を訪れた海外の人が商店街を順番に歩いて回ったりする「ツーリズム」を作りたい。そのために、商店街の魅力を掘り起こしながら、この地域に足を運びたくなる理由として昇華させていきたいなぁというのは、かつてから思っていたことだし、日々目指していることです。

栗田:大きなコンセプトはずっと考えていたことで、細かなところは走りながらということですね。それは今も考えてるのですか?
岩崎:細かなしつらえ等は物件ありきだったし、こうしたいああしたいっていうのはあったけど、その時々の場面で変化していて、今も変化し続けています。物販の品ぞろえもすごく変わってきたし、食事のメニューも変わってきた。店長やビジネスパートナーとも話しながら、お客さんの反応を見ながら変えるところは変えて、その一方で「自分達が目指してるところってどこやったっけ」というのを毎回振り返りながら、でもやっぱ最初は売上に影響するのも怖いから、経済を回そうと思って色んなことを加えたりするけど、「これが違うんちゃうかな。」とか、「じゃあ次はどうするんだ。次はどういうところを目指していくか」っていうのを毎月、毎週、へたしたら毎日繰り返してるかな。
栗田:毎日、常に考えながらやっているんですね。
岩崎:こういう「お店」っていう形態での事業を始めるのは初めてやったんですけど、お店をやっていると、毎日何かが起きる。大きいものから小さなことまで毎日何かを解決しなければならない。例えば、「仕入れ」でいうと、その仕入れ先とコミュニケーション取り方をどう設計しようかとか、その設計の向こう側に自分たちが目指す「ツーリズム」にどう繋げていこうか、とか。そこはまた大きな話。これもずっと同時並行でやってきてる感じですね。
栗田:「ツーリズム」っていう岩崎さんたちの元々の考えがあったからこそだと思うんですけど、その時々で「そもそも何がやりたかったんだっけ」っていうところをちゃんと立ち返るのをとても大事にしているんですね。
岩崎:だけど、めっちゃ忘れるよ。(笑)目の前の売上げも欲しいから。お店やってるとリアルやなと思うんですよ。ただね、目指すところがどこなんかっていうのを決めてしまえば、そこへの行き方は間違えて戻ったり修正したりするけど、行く先は一緒やなって思う。そういう風に思うと、栗田さんが言ったみたいに戻る場所を決めて進む。もういっかい戻る、進む、戻る、そして進むみたいなことをちゃんと繰り返していってる感じかな。
栗田:進んで、戻って、その時々で、進み方の修正をやっていると思うんですけど、目指している世界観に進んでるなって実感ってありますか?
岩崎:もうそんなん分からへんときいっぱいあるで。(笑)
栗田:そうなんですね。(笑)
岩崎:ただ、例えばお客さんの感じが変わってきたとか、今日は外国の方がすごい来るね、とか。例えば11月にサンフランシスコから来た26歳の子がいて、1ヶ月ほど大阪に滞在している中で、12~13回くらいお店に来てました。また例えば、ハワイからの方からメールが来てコミュニケーションのやり取りが始まったこともあります。
栗田:へえ~。海外の方とのつながりまでできたんですね。
岩崎:それを本来の目的かどうかは別として、目指している世界にちょっと近づいてるんちゃうかという実感はあるかな。栗田さんがこうやって取材に来てくれたりとか、大阪市の方も僕の話を聞きに来てくれたりとか、常連の人が天満の昔の写真を持ってきてくれたりとか、僕らの思う世界観を、「ちょっとおもろいんちゃう」って、商店街のあり方の一つの形じゃないの。みたいなことを言う人が出てきたり、商店街と関わりながら、他のお店とコラボした商品とかフードの開発にも挑戦しようとか、天いち音楽祭をやってる時に学生さんが飛び入りで手伝いに来てくれたりとか、それは後から偶発的に出てきてたんです。
決してSNS等で瞬間的にバズることはないんですけれども、そもそもバズらせようという考えもない。ただ、まだまだやっぱり亀の歩みといいますか、一歩一歩っていう感じは否めないです。それを進んでる感っていうのかな。
栗田:大きなバズリは求めてなくて、1つずつコツコツ一歩ずつっていうことなんですね。でも、ふとした時に、答え合わせのような感じで、目指している世界にちょっと近づいているんちゃうかと実感することもあるんですね。
ー後半に続くー
